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床屋の犬
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半永久的に赤と青がくるくるとまわる。
街灯の少ない住宅地のど真ん中、闇に浮き上がるのはそればかり。
これは、静脈と動脈をモチーフにしたものなのだと聞いたことがある。
いつだったか誰にだったかそのへんの記憶はさっぱりだが、たしかに聞いたのだ。
それだけは間違いない。

薄い緑色のカーテンを引いたままで日が明けて、そして暮れてゆく。
今日吹いた風が、冷たいのだか暖かいのだか、それすらわからず日付のみが変わっていく。
そんな自分の部屋の中から、その薄い緑色越しに、そのくるくるが見えるのだ。
客の出入りもそう多くない。たいして繁盛していないであろう、町はずれの床屋。温和そうな顔立ちでアスファルトに寝そべっている柴犬。
たまの客が来ても、歓迎するでも追い払うでもなく、ただちょっと顔を上げてみるものの、すぐにまた興味なさげに伏せってしまう。
番犬としてでもなければ、看板犬としての役目も果たしていない。
その平坦さが自分には心地よく映る。

中学校二年生の頃、少しだけいじめられていたことがあった。
授業中、「次はあの子ね」とだけ書かれたメモ用紙が、ターゲットの子だけを除いたクラス全員にまわされる。
かわいらしく小さく折りたたまれたメモ用紙に書かれたたったそれだけの一言は限りなく残酷。
順番にまわってくるのだ。
郊外にある私立の女子校。
今思えば、みんな退屈だったのだろう。

その次の時間からはもういきなり話しかけても無視攻撃。
教科書を隠され、上履きを隠され、お昼休みも誰も近づいてこない。
たいがいクラス中のほとんどの子にまわるから、自分だけじゃないし、だいたい一週間から長くても一ヶ月弱で次の子にまわるから、期間限定だって思えば、ある程度は耐えられるのだろうけど。
わたしはそんなみじめさに耐えられなかった。

わたしは一週間ほど学校を休んだ。
親は朝早くから仕事に出かけて、夕飯時まで帰ってこないから、バレやしないだろう。
そう思って、一週間だけ外へ出ずに自分の部屋ですごした。
その間、カーテンの隙間から見える景色だけが外の世界だった。
わたしの部屋の窓からは、古ぼけた床屋の看板。その横に、赤と青のぐるぐるが見えた。 今よりも少しだけ毛並みがつややかだった番犬まがいの柴犬は、今とそう変わらず、いつもヤル気なさげに寝そべっていた。

わたしはコッソリと心の中で彼に話しかける。

ねえ、今日は暖かいのかしら?
ちょっぴり雲っているけれど。
今日は、オモチャがあるのね。
一人で遊んでてもたのしいの?ねえ。
わたしは一人じゃダメ。
一人でいることが恥ずかしくてたまらないの。
だからね、ちょっとぐらい無理したって合わせてわかったフリをするのが上手なの。
そうね、特技って言ってもいいかもしれないわ。

一週間たって登校したときには、既にターゲットは次の子に移っていた。
ゲタ箱で会ったクラスメイトからは、何事もなかったかのようにいつもの他愛もない挨拶。
上履きも教科書も、ちゃんと元の場所に戻っていた。いつもと変わらない日常。
だけどそれ以来、ザラザラとした違和感が消えなかった。
エスカレーター式の学校だったけれど、わたしは近くの公立高校を受験した。

そう、ここから見える景色は、あの頃と何ひとつ変わってはいない。
そう思って、チラと隣で横たわる人を見やる。
目を閉じたまま、ギリギリと歯を食いしばり、動物のように邪気なく、自分の顔を掻き毟る。
思わず笑って髪を撫でてやると、寝ぼけたように薄目を開けて、すぐにまた目を閉じて寝返りをうつ。

でも。と私は思う。
そうだ、今はあの頃とは違う。
今だって何も持っていないけれど。

それでも。

煙草に火をつけて、ベランダに出る。
相も変わらず、赤と青はぐるぐるとまわっていたし、柴犬は寝そべっていた。
遠くで鳴り響くサイレンの音を、市場へ向かう大型トラックの走行音がかき消してゆく。
薄く長い雲が風に吹かれて、三日月の上を足早に通りすぎてゆく。

そろそろ空気が肌寒い。冬の匂いがする。

フーと何の気なしに吐き出した煙が、輪っかを描いて夜空に吸い込まれていった。

2003/10

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